売買契約後・履行前に発生した相続

契約履行前に相続が発生するという問題

 不動産開発業者は常に開発価値のある土地の取得を狙っています。日本では一等地を地元の資産家が保有しているケースがまだまだ多いですが、土地所有者が高齢化していることもあり、高齢者が土地を売ることが多く見られます。

 不動産取引は一般的に契約日と決済日の間にタイムラグが生じるため、契約履行前に途中で死亡してしまうことがあります。特に目的物が開発敷地となると、開発業者側のトラブル等もあって、決済まで予定通りにいかないことはざらにあります。そのため、売買契約を締結したが決済前に契約当事者が死亡するということがあります。

 不動産保有者の相続では、多くのケースで相続税等の申告が必要となってきます。
 しかし、準確定申告や相続税申告が迫っていることや、相続法や契約法という民法・商法等の私法上の効果と租税法という分野の整合性をどう考えるかについて明確な規定がないことから、申告や更正の請求の前提となる所得税法や相続税法の解釈をめぐる紛争が散見されます。
 今回は、売買契約締結後、履行前に相続が発生した場合の相続税の課税物件について検討します。

 なお、売買契約締結後に代金の支払いと目的物の引渡という契約上の義務を双方が履行して所有権が移転させることを俗に「決済」と言いますが、「履行」という言葉より馴染みがあるので、本稿でも基本的にはこれらの履行行為を「決済」ということにします。

 

売買契約における私法上の法律関係

 相続税法の検討の前に、そもそも売買契約とは何か、その私法上の法律効果について確認しておきます。
 売買契約とは、「当事者の一方がある財産権を相手方に移転することを約し、相手方がこれに対してその代金を支払うことを約する」ことで、特に別段の定めがない限り、契約が成立すると「その効力を生ずる」ものです(民法555条)。

 売買といえば代金を支払う代わりに目的物の所有権を取得するというのが一般的なイメージかと思います。もちろん、それは誤りではないですが、より法的にみてみましょう。

 売買契約の成立によって、
 ①目的物の所有権は原則として売主から買主に移転します(民法176条(※1))。
 同時に、
 ②売主は買主に対して代金を支払ってもらう債権(金銭債権)を取得し、
 ③買主は売主に対して目的物の支配を完全なものにするために目的物を引き渡すよう請求する権利を取得します。

 この①の所有権は物権ですが、②と③は債権です(※2)。つまり、売買契約によって、売主は②の債権を、買主は①の物権と③の債権を取得することになります。
 例えば、土地の売買契約を締結では、売主は買主に対して代金請求権を、買主は土地引渡請求権を取得します。ところが、所有権は注記※1のとおり、不動産売買契約では、ほとんどのケースで、所有権の移転時期を契約成立時ではなく決済完了時とする特約が定められます。
 それに従うと、決済前はまだ所有権が売主にあるということになります(以下では、そのような一般的な契約であることを前提とします【図1】)。これらがお互いに現実に履行されて、売主は代金を取得し、買主は土地の所有権と支配を取得します。

 

 

 ところで、上記のように①②③を考える実益はどこにあるのか?
 それは、相手方が契約を履行しなかったときに、裁判所に提訴する法的根拠として機能する点にあります。もし、相手方が契約を履行しない場合は、当事者は上記の各権利を根拠にその実現を目指して提訴します。そのため、当該契約によって当事者にどのような権利義務が発生するのかを検討することは、現実の契約関係を整理するうえで非常に重要です。

 

契約履行前に相続が発生した場合の法律関係

 さて、相続税の話をする際は、まず誰に何がどのように相続されたかを押さえなくてはなりません。そのためには、私法上の権利関係を確認することが出発点となります。

 相続が発生すると、相続人は相続人の財産に属した一切の権利義務を承継します(民法896条)。これが相続の効果です。

 売買契約の締結により、当事者には契約に基づく代金請求権・土地引渡請求権という債権がそれぞれ発生していますので、契約締結後・決済前に当事者が死亡した場合、相続人は、これらの債権(②③)を承継します。同時に、決済前のため未だに土地所有権は売主にあるので、売主の相続人は、買主に移転する前の土地所有権という物権(①)も承継します(※3)。

 

相続税法における課税物件

 相続税の課税物件は、「相続または遺贈によって取得した財産」です(相続税法2条1項)。ところが、相続税法には、この規定の意味解釈について特段の規定がありません。そのため、「相続により取得した財産」の解釈にあたっては、相続に関する民法の規定に整合するように解釈すべきとされています(※4)。

 前述のように、相続については民法に規定されており、民法上は「一切の権利」を「承継する」とありますので、相続税法の「取得」とは民法の「承継」と基本的には同じ意味で捉えることになります。

 例えば、不動産を相続すると、その不動産が課税物件とされますが、より厳密に言うと、当該不動産の所有権(物権)という財産権(=権利)が課税物件とされます。同様に、被相続人が金銭債権(例えば、銀行に対する預金払戻請求権)など何らかの債権を有していた場合、財産権たる債権が相続税の課税物件とされます。

 

契約後・決済前の相続税の課税物件

 では、契約締結後・決済前に発生した相続税の課税物件は何になるのでしょうか。

売主の場合

 前述のように、売主は、相続によって、①土地の所有権という物権と、②代金請求権という債権を取得しています。

 ところが、この代金債権(②)は土地所有権(①)の対価であり、土地の所有権を手放すことを前提に、これと引き換えに取得したものです。相続によって一時的に①と②の両方を承継したからといって、民法上の解釈をそのまま相続税法にあてはめて両方を課税物件としてしまっては、二重課税とも言える事態となってしまいます。

 納税者が納得するためには、結果として代金か土地かのどちらかに課税されるべきでしょう。そこで、相続税法の解釈として、こういうケースでは(実質的に)どちらか一方が相続税法2条1項に規定する「相続または遺贈によって取得した財産」に該当するという解釈をすべきだということになります(※6)。

 では、①土地の所有権という物権と、②代金債権という債権のどちらを課税物件と解するべきでしょうか?
 この点は極めて重要です。ご存知のとおり、土地は評価基本通達があり一般的に市場価格より低く評価されます(=相続税額が低い)が、代金債権は基本的に市場価格の額面で評価されるため、評価基本通達より高額になる(=相続税が高い)からです。

 この点については最高裁の判例があります。最高裁は、課税物件たる相続財産は代金債権(②)であると判示しました(※5)。
 その理由は、相続人は相続により代金債権と同時に土地所有権も承継しているが、土地所有権は代金債権を確保する機能を有するに過ぎないから独立して相続税の課税財産を構成しない、と述べています。
 誤解を恐れずに言えば、私法上は土地所有権も取得しているが、いずれ買主に移転されるという制約のある所有権で完全なものではないから相続税法においては無視する、というものです。つまり、最高裁は、民法上は債権的権利(代金債権)も土地所有権も相続により取得しているが、土地所有権は相続税の課税物件たる「取得した財産」からは除くと解釈したということです。

 

買主の場合

 前述のように、買主は契約によって③土地引渡請求権を取得します。所有権は代金支払時に移転すると特約があることが一般的なので、決済前では買主は土地の所有権を取得していません。
 最高裁も、「課税財産は……所有権移転登記請求権等の債権的権利と解すべき」としています(※7)。まさに、売主の場合の裏返しです。

 

 

下級審裁判例や学説の評価

 上記のように、最高裁が課税物件を判断したため、事実上この問題には決着がついたと言われています。その後の下級審裁判等でも上記最高裁が踏襲され、課税物件あくまで契約に基づく債権的権利であるとされます。学説の多くも最高裁に賛成しているようですが、一部の学説では反対説もあります(※8。議論の整理については※6の三宅論文が参考になります)。
 しかし、最高裁判例がそう簡単に変更されることはないでしょうから、実務上は基本的には②③の債権的請求権が相続税の課税物件として考えていくことになるでしょう。

 

しかし、その後、土地を課税物件とした裁決が

 ところが、裁決の中には、上記最高裁昭和61年判決にもかかわらず、売主において土地が相続税の課税物件であるとしたものがあります(※9)。

 事案は、売買契約後相続開始まで約1年8か月の間、買主が売買代金を支払わず、結果として相続発生後約1年7か月後に相続人が売買契約を解除したというものです。
 裁決では、最高裁昭和61年判決について、「売買契約が当事者双方によって誠実に履行され、売買残代金請求権(債権)が確定的に被相続人に帰属しているということを肯定できるような場合」に妥当するもので、本件のような事実関係では「相続開始時点において、売買残代金請求権(債権)が確定的に被相続人に帰属していたということを肯定することはできない」と判示し、課税物件は債権ではなく土地であるとしました。

 この裁決について、確かに通常の取引とは異なる経緯をたどった事案ですが、果たして最高裁昭和61年判決をそのように射程を限定していいか、当該事案のレベルの取引経過をもって売買残代金請求権が確定的に被相続人に帰属していないと言えるのか(※10)などについてはやや慎重な評価が必要です。 
 また、相続後の解除が相続税や更正の請求に与える法的効果について直接言及されていない点についても、その他の解除の事案と比較して検討する必要がある事案だと思われます(※11)。

 ただし、イレギュラーな取引経過をたどった事案にでは裁決レベルでは最高裁の基準が適用されない可能性が残されているという意味では、注目に値します。今後の判例の集積を待ちたいと思います。

 

債権的権利とした場合の評価額

 最高裁昭和61年判決は、課税物件を債権とした上で、その評価は契約上の取引価額であると判示しています。

 売主としては、契約締結前なら評価額が低い土地が課税物件だったのに、契約締結後だと決済前でも代金債権(市場価格)として評価されていまいます。他方、買主としても、契約締結後で決済まで完了して所有権を取得していれば評価額が低い土地と評価されるのに、決済前だと土地引渡請求権(評価額は市場価格たる代金額)という評価額が高いものを相続したとされてしまいます。

 このアンバランスは、もっぱら通達の評価と市場価格の乖離が原因ですが、制度上の欠陥であり、今のところやむを得ないという意見が多いです(※12)。

 もっとも、すでに代金を支払っており契約後長期間放置されていた買主の土地引渡請求権だけが問題となるような事案では、土地引渡請求権の評価額は相続税評価額によるとした高裁判例があります(※13)。そのため、それぞれのロジックと射程を的確に捉えたうえで、個別の事案では慎重に事実を確認することが求められます。

 

おわりに

 このように、契約途中の相続税の課税物件については、最高裁の判断がありながら、具体的事実経過によって異なる判断になることがありえます。専門家としては、しっかりした事実の確認と評価が求められるところです。

 

※1  不動産の取引では、所有権が契約成立時に直ちに移転するのではなく、代金を決済したときに移転すると特約で定めることがほとんどです。逆に、このような特約がない限り、契約成立時に所有権が移転します。

※2  土地の引渡請求権は、具体的には登記名義を移転してもらう権利(移転登記請求権)や占有を移転してもらう権利(土地明渡請求権)です。これらは契約で取得される所有権に基づいても取得しますが、通常は決済完了まで所有権が移転しないので、これらの権利はとりあえず契約に基づく債権的権利であると解されます。

※3  権利を承継する反面、それぞれの権利の裏返しとして相手方に②③を給付するという契約上の義務も承継します。

※4  広島地方裁判所平成23年9月28日判決。

※5  最高裁昭和61年12月5日第二小法廷判決(昭56(行ツ)89号)。

※6  税大論叢41号・三宅浩一『土地等の売買契約締結後に相続が開始した場合の課税財産及び評価等について』では、債務控除を利用して二重課税を回避する見解を論じています。

※7  最高裁昭和61年12月5日第二小法廷判決(昭57(行ツ)18号)、最高裁平成2年7月13日第二小法廷判決。課税実務上は所有権移転登記の有無にかかわらず、土地の引渡の有無を基準に課税物件を扱っており、引渡し後は土地所有権を買主側の課税物件と扱っているようです(前掲・三宅論文、平成3年1月11日付国税庁資産税課情報第1号も参照)。

※8 金子宏『租税法(第22版)』・631頁、岩﨑政明『租税法判例百選(第6版)』・147頁、前掲・三宅論文など。

※9 国税不服審判所平成15年1月24日裁決。

※10  実際の取引では、売買契約後に事情が変わるなどして協議の上決済日が相当延期されることも多々あります。

※11 契約解除と相続税の関係については論稿を改める予定です。

※12 前掲金子・667頁では、評価通達は土地がストックの状態にある場合を前提に定められていると解すべきで、契約が成立しすでにフローの状態に入っている土地の評価は、原則としてその契約によって形成された取引価額によって行うべきであろうとされています。

※13 東京高裁平成元年8月30日判決。