裁判例からみる源泉徴収制度

源泉徴収制度

(1) 源泉徴収・納付義務

 日本では明治32年に公社債の利子に対する源泉徴収制度が導入されたのが始まりで、昭和15年に給与の源泉徴収が開始されたそうです(金子宏『租税法』より)。

 現時点の法律では、源泉徴収義務が生じるのは、主に以下の場合です※1
 ・利子、配当等の支払(所得税法181条)
 ・給与等の支払(同183条)
 ・退職手当等の支払(同199条)
 ・報酬等の支払(同204条)
 ・公的年金等(同203条の2)
 ・生命保険契約等に基づく年金(同207条)
 ・定期積金の給付補金等(同209条の2)
 ・匿名組合契約等の利益の分配(同210条)
 ・非居住者または法人の所得(同212条) 

〔以下の説明は、特に記載しない限り、給与等の源泉徴収を念頭においています。〕

 給与等の支払をする者は、その支払の際に徴収した源泉所得税を、その徴収の日の属する月の翌月10日までに国に納付しなければなりません(同183条1項)。

 なお、源泉徴収による所得税の納税義務は、いわゆる「自動確定方式」、すなわち納税義務の成立(支払)と同時に何らの手続を要しないで税額が確定する方式です(国税通則法15条3項2号)※2

(2) 不納付の場合

 源泉所得税が法定納期限までに完納されなかった場合、税務署長は、納税者に対して一定の経済的な負担、すなわち「不納付加算税」が徴収されます(同法67条1項)※3

 

源泉徴収の法律関係

(1) 概説

 源泉徴収制度では、法律関係の主体として「国(税務署長)」、税を徴収して納付する「徴収・納付義務者」、税を負担する「本来の納税義務者」の三者が存在します。
この三者の法律関係は、少し独特なものであり、正確に整理しておく必要があります。

(給与支払の場面を想定して、上記「徴収・納付義務者」を給与支払者である会社、「納税義務者」を受給者である従業員、として考えればわかりやすいと思います。)

 

 

 まず、本来の所得税を納税する義務がある者は、給与の受給者である従業員ですが(所得税法5条1項)、受給者は国と直接的な債権債務関係に立ちません。国との間で納税義務を負うのは、あくまでも給与支払者である会社です。
 つまり、あくまでも会社が源泉所得税を従業員から徴収し、これを国に納付する義務を負うのであり、従業員は納付義務を負いません。従業員は、会社からの徴収を受忍する(または会社に税額に相当すうる額を給付する)義務を負うのみです。

(2) 源泉徴収制度の趣旨

 源泉徴収制度は、本来の納税義務者(上記例の従業員)の所得税を効率的かつ確実に徴収するために設けられている、と説明されます。この点、最高裁昭和37年2月28日判決は、次のように判示しています。

「給与所得者に対する所得税の源泉徴収制度は,これによって国は税収を確保し,徴税手続を簡便にしてその費用と労力とを節約し得るのみならず,担税者の側においても申告,納付等に関する煩雑な事務から免かれることができる。また徴収義務者にしても,給与の支払をなす際所得税を天引しその翌月一〇日までにこれを国に納付すればよいのであるから,利するところ全くなしとはいえない。されば源泉徴収制度は,給与所得者に対する所得税の徴収方法として能率的であり,合理的であって,公共の福祉の要請にこたえるものといわなければならない。これすなわち諸国においてこの制度が採用されているゆえんである。」

 つまり、国にとっても、従業員にとっても、会社にとっても、所得税の徴収方法として能率的で合理的だというわけです。(果たして実際に能率的かといわれると疑問ですが。)

 

裁判例でみる源泉徴収制度

(1) 実は広い「支払」概念

 源泉所得税は、給与等の「支払の際」に徴収しなければなりません(所得税法183条)。
 そして、源泉徴収義務が生じる「支払」の意味については、通常の日本語の意味よりもかなり広く解釈されています※4。過去の裁判例では「債務免除」や「強制執行による回収の場面」でさえも「支払」にあたるとされています(所得税基本通達181~223共-2も同旨)。いくつか裁判例を見てみます。

大阪地裁H9.5.21判決(税資223号758頁)
「『支払』とは,給与等の支払義務が発生した後,給与等の支払者が,給与等の債権者との間で,給与等の支払債務を消費貸借の目的とし,給与等の支払者がその返還を約する旨の合意,すなわち,準消費貸借契約をすることも含まれるものというべきである。けだし,同項の『支払』とは,現金や小切手の交付それに銀行口座への振込がこれに該当するのはむろん,実質課税の原則に鑑みれば,そのほか,給与等の債権者との間の代物弁済契約,給与等の債権者の放棄(債務免除)その他の給与等の支払義務を消滅させる法律行為も,原則として『支払』に該当すると考えられるからである。」

広島高裁S35.7.26判決(税資33915頁)
給与の支払は,現実の支払のみならず税法上支払と同視し得べきものをも指すものと解するのを相当とする。…給与請求権の放棄により控訴人の同人に対する給与支払債務は消滅し,将来右給与の現実支払という事実は発生し得ぬことに確定したのであるから,右給与債務の消滅という点において右放棄は同条にいわゆる支払と同一視すべきものであ(る)」

大阪高裁H15.8.27(税資253号)
(社会福祉法人の理事長が横領した事案で、横領した金員が賞与として給与所得にあたること判示したうえで)
所得の受給者が源泉徴収義務者から不法に利得した場合であっても,その利得が給与所得と認められる以上は,源泉徴収義務者に納税義務を課すべきものであって、源泉徴収が困難であるかどうかは全く関係のないことである。」

最高裁H23.3.22判決(民集652735頁)
「給与等…の支払をする者が,その支払を命ずる判決に基づく強制執行によりその回収を受ける場合であっても,上記の者は,法183条1項所定の源泉徴収義務を負うと解するのが相当である。…給与等の支払をする者が,強制執行によりその回収を受ける場合であっても,それによって,上記の者の給与等の支払債務は消滅するのであるから,それが給与等の支払に当たると解するのが相当であることに加え,同項は,給与等の支払が任意弁済によるのか,強制執行によるのかによって何らの区別も設けていないことからすれば,給与等の支払をする者は,上記の場合であっても,源泉徴収義務を負うものというべきである。」

(2) 誤徴収の場合の法律関係

ア 過少に徴収した場合

 会社が本来徴収すべき額よりも少なく徴収し、あとから本来徴収すべき額との差額を納付した場合、会社はその差額を従業員に対して求償することができます(所得税法222条)。

イ 過大に徴収した場合

 会社が本来徴収すべき額よりも多く徴収した場合は、従業員は会社に対して差額の返還を求めることができます(従業員は国に対して還付を求めることはできないとされています)。

最高裁H4.2.18判決(民集46277頁)
「給与等の支払を受けるに当たり誤って源泉徴収をされた(給与等を不当に一部天引控除された)受給者は,その不足分を即時かつ直接に支払者に請求して追加支払を受ければ足りるのであるから,右のように解しても,その者の権利救済上支障は生じないものといわなければならない。」

(3) 源泉徴収義務の有無の判定が困難な事例

 会社が労働契約を締結した従業員に対して支払う賃金について源泉徴収義務があることは容易に判定できます。しかし、源泉徴収する義務があるどうかの判定が非常に難しい事案もあります。以下では、そのような裁判例を紹介します(東京高判H28.12.1(税資266号)/原審:東京地判H28.5.19)。

《事案の概要》
 株式会社Xは、Dとの間において日本国内の土地建物の売買契約を締結し、売買代金として約7億6000万円をDに支払った。しかし、処分行政庁から、売主Dが所得税法(平成26年改正前のもの)2条1項5号にいう「非居住者」に該当し、Xは同法212条1項に基づく源泉徴収義務を負うとして源泉徴収税の納税告知処分を受けた。
 これに対し、Xは、①Dは所得税法上の「非居住者」に該当しない、②仮に該当するとしても、Xは通常行うべき注意義務を尽くした上でDが非居住者ではないと確認した等として納税告知処分の取消しを求めた。

《前提知識》
 所得税法は、「非居住者」に対して国内にある土地建物等を譲渡する場合の売買代金を「国内源泉所得」とし、その支払をする者はその支払の際に所得税を徴収しなければならないと規定しています(212条1項、現行161条1項5号)。

 ◆ここで「非居住者」とは、居住者以外の個人であり(2条1項5号)、かつ、「居住者」とは「①国内に住所を有し、又は②現在まで引き続いて一年以上居所を有する個人」をいいます。そうすると、上記買主Xは、Dが非居住者にあたるかどうかを判断しなければ、源泉徴収義務があるかどうかを判断できないということです。
 つまり、①国内に住所がない、かつ、②1年以上居所がない、という2つの要件を満たせば「非居住者」となります。

《結論》
 Xの敗訴(=納税告知処分は適法)

《判決要旨》
・所得税法は、日本国内の不動産の譲渡対価の支払者に、支払の相手が「非居住者」であるか否かを確認すべき注意義務を負わせているものと解するのが相当である。
・本件の事実関係の下においては、Xが本件譲渡対価の支払に当たりDが非居住者であるか否かについて確認すべき注意義務を尽くしたということはできない。

 

 上記のように、裁判所は売主Dが「非居住者」だと認定しており、買主Xについては、Dが非居住者かどうかを確認すべき注意義務を尽くしたとはいえないと結論づけました。
 裁判所は「国内居住者に当たるか否かは,客観的な事情を総合勘案して判断されるべきものであるから…Dが国内居住者であるか否かを判定するためには,Dの非居住者性に関する客観的な事情(例えば,Dの出入国の有無・頻度,米国における家族関係,資産状況等)について具体的に質問して確認する必要があり,このような具体的な事実関係を把握することなく,Dの居住者性を判定することは困難である。」としています(原審判決文より)。

 では、そもそも「住所」や「居所」はどうやって判定すればよいのでしょうか?
 通達では、法に規定する「住所」とは各人の生活の本拠をいい、生活の本拠であるかどうかは客観的事実によって判定するとされています(所得税基本通達2-1)。
 また、「居所」とは、その人の生活の本拠という程度には至らないが、その人が現実に居住している場所、とされています(国税庁タックスアンサーNo.2012等)。
 しかし、このように一応定義できるとしても、明確かつ具体的な判断基準とはいい難く、実際には判定が困難な事例があることは想像に難くありません。
 実は、この事案では、買主Xは以下の資料を確認しています。

 ・売買契約書
 ・登記
 ・隣地所有者との境界確認書  
 ・住民票
 ・印鑑登録証明書
 ・固定資産評価書類
 ・売買代金の領収証

 これらすべてについて、Dの住所として記載されていたのは日本国内の住所だったようです。
 そして、税務署は、平成22年3月から税務調査を開始し、納税告知処分をしたのが平成24年6月であり、実に2年にわたる調査の結果、売主Dを「非居住者」だと判断しています(これだけの時間を要したことについては何か特別な事情があったのかもしれません)。
 結局、この事案では、売主Dを「国内居住者」と評価するには他に色々と怪しい事情があったために、裁判所は「もっと調査すべきだった」と断じたわけですが、上記のような客観的資料をもってしても判定できないような「非居住者」該当性を、短い期間で正しく調査・判断して源泉徴収せよ、というのはいささか酷なような気がします。
 なお、そういう事情が考慮されたのかどうかは分かりませんが、不納付加算税は課されていません。

 このような事案のみならず、法人が役員に対する貸付債権について債務免除したような事案等でも、源泉徴収義務の有無及びその額の判定には困難を伴う場合があります。
 実際の事案として、法人がその理事長に対し、理事長の法人に対する借入金債務の免除をしたところ、所轄税務署長から、債務免除益が理事長に対する賞与に該当するとして、源泉所得税の納税告知処分及び不納付加算税の賦課決定処分を受けた事案※5(広島高判H29.2.8)などがあります。

 

※1 年末調整について所得税法190条、源泉徴収を要しない場合について同184条。

※2 納税額を確定する方法には、他に「申告納税方式」と「賦課課税方式」がある。端的に言えば、納税者自らが納付すべき税額を計算して申告することで税額を確定する方法が「申告納税方式」。一方、課税庁が納付する税額を確定する方法が「賦課課税方式」。

※3 納税の告知に係る税額又はその法定納期限後に当該告知を受けることなく納付された税額に百分の十の割合(=10%)を乗じて計算した金額に相当する不納付加算税が賦課され、徴収される。ただし、正当な理由が認められる場合等には不納付加算税は免除もしくは減額される(国税通則法67条1項但書、同2項・3項)。

※4 参考として、【所得税基本通達181~223共-1】は「法第4源泉徴収に規定する「支払の際」又は「支払をする際」の支払には、現実の金銭を交付する行為のほか、元本に繰り入れ又は預金口座に振り替えるなどその支払の債務が消滅する一切の行為が含まれることに留意する。」としている。

※5 債務免除当時の理事長の資産と負債の額について詳細な事実認定の結果、納税告知処分については約18億円の源泉所得税のうち約4億円を超える部分が取り消された。債務免除益の額の判断には理事長の資力の額を調査検討しなければならないが、これは非常に難しい。

以上