納税保証書の真正成立について「二段の推定」を適用した裁決に対する批判的検討

裁決の要旨(令和2年7月1日裁決)

 国税不服審判所の公開裁決【令和2年7月1日裁決】で、以下のような事案がありました。

〔事案の概要〕

 本件は、滞納法人の代表者である請求人の実印が押なつされた納税保証書は、請求人の同意もなく従業員によって作成、提出されたものであって、無効であるとの請求人の主張に対し、請求人に納税保証をする意思が認められるとした事例です。

(国税不服審判所HPから引用)

《ポイント》
 本事例は、納税保証書の真正な成立について、請求人から、いわゆる二段の推定における請求人の意思に基づくことの反証がされたところ、納税保証書の作成時の請求人の実印の保管状況等や、滞納法人の従業員に請求人の実印を冒用すべき理由があるか、納税保証書提出後に請求人が徴収職員に自らが保証人であることを自認する言動をしていたかを認定した上で、関係人の答述の信用性を評価し、判断したものである。

《要旨》
 滞納法人の代表者である請求人は、請求人が滞納国税(本件滞納国税)を納税保証する旨が記載された納税保証書(本件保証書)について、滞納法人の従業員が請求人の印章を無断で使用してこれを作成したものであり、請求人が当該従業員やその他の第三者にこの作成を指示したことがなく、請求人の同意なく提出されたものであることから、当該納税保証は無効であり、これを前提とする納付告知処分は違法である旨主張する。
 しかしながら、私文書中の印影が本人又は代理人の印章によって顕出された事実が確定された場合には、反証がない限り、当該印影は本人又は代理人の意思に基づいて成立したものと推定されるところ、請求人にこれを覆すべき反証はなく、また、本件保証書の提出後、請求人自身が保証人であることを自認する言動を繰り返していたことからすれば、請求人は本件滞納国税について納税保証をしたと認められる。(※下線部は引用者)

(引用終わり)

何が問題なのか

 違和感を覚えるのが、明示的に「民事訴訟法第228条第4項」を直接の根拠として、文書の真正成立を認めたことです。
 実際の裁決には、次のような記載があります。

私文書中の印影が本人又は代理人の印章によって顕出された事実が確定された場合には、反証がない限り、当該印影は本人又は代理人の意思に基づいて成立したものと推定するのが相当であり、その結果、当該文書は、民訴法第228条第4項により、文書全体が真正に成立したものと推定される(最高裁昭和39年5月12日第三小法廷判決・民集18巻4号597頁参照)。

したがって、民訴法第228条第4項によって、本件保証書が真正に成立したものと推定され、これに反する証拠もない上、上記本件保証書作成後の請求人の言動からしても、請求人は本件滞納国税について納税保証をしたと認められる。

 まさに「民訴法第228条4項によって」と明言しています。
 しかし、審査請求の審理(事実認定)において、民事訴訟法を適用することが適切なのでしょうか。

※結論として、本件裁決で、請求人が本件滞納国税について納税保証をしたと認めたことに異論はありません。問題は、民事訴訟法を当然のように適用している点です。

私文書の真正成立の推定と二段の推定

1.民事訴訟法228条の規定

 まずは、民事訴訟法の話です。

 問題の民事訴訟法(以下「民訴法」という。)228条4項は次のような規定です。

(文書の成立)
第二百二十八条 文書は、その成立が真正であることを証明しなければならない。
2 文書は、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認めるべきときは、真正に成立した公文書と推定する。  
《3項省略》

4 私文書は、本人又はその代理人の署名又は押印があるときは、真正に成立したものと推定する。

 この規定はどういうときに使われるかというと、
“Aさんの押印がある契約書を証拠として、Bさんが何らかの履行請求訴訟を提起したところ、Aさんが「この契約書は私が作成したものではない!」と争う場合”をイメージしてもらえれば分かりやすいと思います。
 つまり、Aは契約書を誰かが勝手に作成したと主張し、一方のBはこれはAが作成したものだと主張しているため、契約書という文書の成立に争いがある事案だということです。

 このように、文書の成立に争いがある場合には、挙証者(この例ではB)は、その成立の真正を証明しなければなりません(民訴法228条1項)。
 Bとしては、文書の成立の真正を証明するために手を尽くすわけですが、この立証は簡単ではありません。そこで、登場するのが民訴法228条4項です。

 すなわち、私文書(公文書以外の文書)は、本人の押印があるときは真正に成立したものと推定されることになります(条文上は、本人や代理人による署名でも推定が働きますが、ここでは押印に限定して説明します)。
 なぜそのように推定されるかというと、本人がその意思によって押印したのであれば、その文書全体がその本人の意思によって作成された場合が多いという経験則があるからです。

2.民訴法228条4項「本人の押印」=本人の意思に基づく押印

 ここでいう「本人の押印があるとき」というのは、「本人の意思に基づいて押印された」という意味です。ですから、印影が本人の印章(=ハンコのこと)によるものであっても、本人でない人間が勝手に押印していた場合には民訴法228条4項を適用することができません。

 そうすると、誰かが勝手に自分のハンコで押印したんだ!と争っている場合には、本人の意思に基づいて押印したことが判明しなければ、民訴法228条4項の推定規定は使えないことになります。
 しかし、考えてみると、Aさんが普段使用しているはずのハンコの印影があるのに、228条4項の推定規定が使えないというのは公平ではない気がします。

3.最高裁判例による「二段の推定」

 この点については、判例で解決されています。それが、最高裁昭和39年5月12日判決です。
 最高裁は、
本人の印章による印影があるときは、反証のない限りその印影は本人の意思に基づいて押印されたものと事実上推定される”
と判断しました。

 つまり、日本では印鑑は非常に重要視されており、みだりに他人に預けることはしないという「経験則」から、本人の印影ならその本人が自分の意思で押印したと推定するべきだとしたのです。

 その結果、

《「本人の印章の印影」があれば「本人の意思に基づく押印」だと推定され、》
  ←【第一段目の推定】

これを前提として、

《「民訴法228条4項」により「文書の真正な成立」が推定される》
  ←【第二段目の推定】

ことになるのです。
 これを実務上「二段の推定」と呼んでいます。

※上記の例で、Aが「誰かが勝手に自分のハンコで押印したのだ」と争う場合には、例えばハンコを盗まれたという事実を立証することで第一段目の推定を破ることが考えられます。(盗用されたのあれば、本人の意思に基づく押印ではないため、第一段目の推定は働かない。)
 しかし、推定を破ることはそれほど簡単ではありません。立証上、Aはかなり不利な立場に置かれることとなります。

 本人のハンコによる印影という事実があれば、この二段の推定により、「文書の真正な成立」というゴールに向かって、いわば推定のベルトコンベアが動き出すことになります。これが押印の証拠としての強みです。

※印鑑登録された印影かつ印鑑登録証明書が添付されていれば、本人の印影であることの証明は簡単です。逆に認印の場合は、自分の印鑑ではないと争われた場合、本人のものかどうかを立証するのが難しい場合があります。

審査請求=行政手続≠民事訴訟

 さて、上記の二段の推定は、民事訴訟法の話です。当然、民事訴訟法は民事訴訟に適用される法律であり、普遍的な法理ではありません。

 ところで、国税不服審判所は、国税に関する処分についての当・不当、適法・違法性を審査する機関です。納税者からの不服申立てを「審査請求」といい、国税不服審判所はこの審査請求に対して「裁決」という判断を下します。

 この国税不服審判所は、第三者的立場で不服審査を行いますが、あくまでも国税庁の附属機関(=行政機関)であり、司法機関ではありません。
 また、国税不服審判所の不服審理一般に、民事訴訟法が準用されるという法律上の規定もありません。当然といえば当然のことです。

※民事訴訟法を準用するという法的根拠がない以上、民事訴訟法を適用してはならない(適用できない)ことになると思うのですが、そうではない理由があるのでしょうか?

民訴法228条を適用するのが不適切な理由

1.民事裁判=弁論主義

 民事裁判においては、事実の確定(事実の認定)は、裁判官の自由心証に委ねられています(自由心証主義、民訴法247条)。
 問題の民訴法228条4項は、一定の事実が認められる場合に、文書の真正成立を推定するものであり、これは事実認定に際しての裁判官の自由心証に対する一定の拘束を定めたものです(これを講学上「法定証拠法則」といいます)。自由心証主義の例外ということです。

 また、民事裁判では、「弁論主義」が採用されており(弁論主義の詳しい説明は割愛します。)、裁判所は、

①《当事者が主張していない事実を裁判の基礎とすることは許されない》
②《当事者間に争いのない事実はそのまま裁判の基礎にしなければならない》
③《争いある事実について証拠調べをするには、当事者が申し出た証拠によらなければならない》

という拘束を受けます。

 この弁論主義の名のもとに、民事裁判では、真実解明に向かう基本的な役割を当事者に担わせることになっており、真実解明は当事者の“自己責任”なのです(主張すべきを主張しない、争うべきを自白してしまうという主張上のミスを裁判所は救済してくれませんし、原則として職権証拠調べも禁止されています)。
 民事裁判では、裁判所は、当事者間で争いになっている事実について、当事者から提出された証拠の範囲で事実を認定しなくてはならないのであり、さらに言えば、裁判所は、当事者が求める限度で事実認定をしておけばよいのです。
 (その意味で、裁判所の判断というのは、当事者から提出された証拠に基づく「相対的な判断」でしかない、などと説明されることすらあります。)

※②を上記の例でいうと、仮にBがAに対して貸金返還請求をしているとして、金銭の授受という事実自体に争いがない場合、裁判所はこれを判決の基礎としなければならず、これに反する事実認定はできません。
 他方で、
契約書の押印が「Aの印章による印影である」という事実については、弁論主義の直接の適用はないと解されています(弁論主義は「主要事実」のみ適用されるもので、文書の成立の真正に関わる事実については弁論主義の拘束はないと解されています。)。
 しかし、実務上は、文書の成立の真正に関する事実について裁判所は当事者に認否をさせるのが通常で、Aが自身の印章による印影であることを認めた場合は、裁判所はこの事実を前提に二段の推定を念頭に置いて事実認定を行います。その意味で、本人の印章による印影であるかどうかの事実は極めて重要です。

2.不服審査=職権探知主義

 一方、国税不服審判所における不服審査では、最終的には審判官が自由心証で結論を出しますが、そこでは民事裁判のような弁論主義は採用されておらず、仮に当事者間(納税者と課税庁)に争いのない事実であっても、必要に応じて自ら調査し、当事者間に争いない事実と異なる事実を認定することが許されます(これを弁論主義に対して「職権探知主義」といいます)。
 ケースによっては、当事者間に争いがないとしても自ら調査しなければならないこともあり得ます。
 これは、当事者の自己責任に任される民事裁判と異なり、真実を主体的に解明することにより、納税者の権利を救済するという使命が国税不服審判所にあるからです。

※上記例のように、納税者Aと課税庁Bの間では、ある私文書の押印については納税者Aの印章による印影である事実についてAB間で争いがないとしても、自ら調査して、別の証拠に基づいてAの印章による印影ではないと認定することが理論的には可能だと考えられます。

 このように、民事裁判と国税不服審判所の不服審査では、その判断に至る審理方法と審理の原則に決定的な差があるのです。(弁論主義下での判断者のスタンスと、職権探知主義下での判断者のスタンスも決定的に異なるでしょう。)

 そして、民訴法228条4項ないし判例による二段の推定は、民事裁判における立証責任という“自己責任”の制度の下でこそ正当化されるものだと思われます。
 二段の推定を不服審査の場面に持ち込むことは、単に不服審査に民訴法228条が直接適用できないというだけでなく、真実究明により納税者の権利救済を究極の目的とする不服審査の趣旨と反するものといえるでしょう。

経験則を適用することは問題ない

 本裁決は、冒頭で引用したような規範を定立したうえで、次のように判断しています。

……本件保証書の印影が請求人の意思に基づいて成立したとの推定を覆すべき反証があるとはいえない。
したがって、民訴法第228条第4項によって、本件保証書が真正に成立したものと推定され、これに反する証拠もない上、上記本件保証書作成後の請求人の言動からしても、請求人は本件滞納国税について納税保証をしたと認められる。」(下線は引用者)

 上述のとおり、このように二段の推定ないし民訴法228条4項を直接適用し、納税者が推定を破れなかったから文書の真正が認められたかのような判断をするのは誤りであると考えます。

 もっとも、昭和39年最高裁判決や民訴法228条4項の背後にある押印に関する経験則を適用することは問題ないはずです。この事案では、端的に、その経験則を根拠として結論づければ足りたのではないか思われます。

以上